けんちょむの生活記録

とりあえずこのまま何となく生きていくことの重みに耐えられずに廃人になってしまいそうなので、何か書かして下さい。

筋トレと承認欲求

 職場にジムがあるので、仕事終わりにちょこっと寄って体を動かして帰ります。洋楽をガンガンにかけながら、サンドバックをタコ殴りにし、10メートルのロープをひたすら地面に叩きつけるという筋持久力メニューをやりました。疲労感すげえ。

 で、思ったことなんですが、ひとりで誰も見てない状況でやるより、衆人環境でやったほうが、筋トレは捗ります。自分は。なんだろうね。ひとりでやるのって、何回かはいいのですが、長く続けてると、すごく苦しくなる。モチベーションがもたないんです。あるいは性格かも知れませんが。

 誰かいると、自分以外の誰かの目というのを嫌でも意識してしまいますから、背筋が伸びるというか、ちょっと追い込んでやろうってなるんですよね。誰も見ていないと、なんかどうでもよくなっちゃうというか。本質的に、自分のためというより、誰かに良く見られたいから筋トレしてるんでしょうね。

 結構これ、自分的にはいろんなことに言えるんです。どんなことでも。読書でも釣りでも仕事でもネットでも投資でも筋トレでも、他人と切り離したところで、独りでひっそりやってる活動ってのは、基本的に飽きが早くて、ある段階でたまらなくなる。その内容を誰かと共有したくなる。その時点で、やりがいだったり、達成感だったりを感じて、じゃあ続けようってなります。

 それって不純じゃないのって見方もあるかもしれませんが、じゃあ逆に、他人と全く無関係なところで切り離されたところで何かをずっと続けて、その成果を誰かと共有することができないことに、人って耐えられるのっていう疑問があります。たぶん、退屈すぎて死にたくなる気がするんですよね。自分は。永遠に誰にも知られずに、自分だけが知っている自分だけの行動って、すごくキツくないですか。

 誰かに向けた善意。うまくいった成果。こつこつ積み上げた実績。破滅的な結果。まあ、どんなことでもいいのですが、それを自分だけが知っている、他のだれも知らないということに、意義を見出し難いのですよ。自分は。それって、ないのと一緒ちゃうのみたいな。最初の何回かならいいんですけどね。それがずっと続き、死ぬまでってなると、耐えられる人は少ないのでは。誰とも関係をもたず、誰にも評価されず、誰の記憶にも残らず、ひっそりと死ぬという。まあ究極的な話ですが。

 これだけSNSが爆発的に普及したのって、基本的には承認欲求だと思うんですけど、人って承認欲求から完全に逃げ切るのは難しいと思います。俺はSNSなんてしねーよって人は、別のどこかで、誰かに認められて満足できてるってだけだったり。そこから完全に自由な人って、あんま見たことないです。